しいなゆきこ『2023年盛夏』

5月にふとした転機から夫婦で引っ越しをしました。

ものすごい山奥ではないけど、以前に住んでいたところより自然が豊かな土地へと移り住んでから、日々目の前のさまざまなことが変わりました。

「幸せに暮らすこと」

「豊かな暮らしとは」

これって、どういうことなのだろうと以前に考えたことがあり、なんとなく想像の中だけでぼんやりと(こんなことかなぁー)と思い浮かべていたような場所に一歩近づいたように感じています。

例えば、生きていくために思い切り深呼吸ができる空気がある場所だったり、安心できる水や食べ物が不自由なく手に入ることだったり、何かに遮られることなく気持ちよく光を浴びることができたり。

どれも些細で当たり前と思われがちなことばかりだけど、実は当たり前ではなく、不自然なことがありふれていたり。

人はひとりで生きていくことはとても難しくて、誰かに助けてもらったり、力を借りて生きているから、都会では希薄になりつつある地域の力や関わり方がとても心地よく感じたり。

私たち人間は、つい傲慢になってしまいがちだけど自然の一部にすぎないから、近代的や現代的文化に染まりすぎてしまうことなく、宇宙や自然の一部として土や水や太陽や生き物とともに生きる暮らしを営むこと。

暮らしを整えるって、そういうことなのかもしれないと今は思っています。

暑い最中に二日間、地域の夏まつりが行われ賑やかになりました。お祭りってワクワク感だったり、心躍るような雰囲気にしてくれます。

コロナ、コロナと騒がれて以来、縮小や中止にされてきた地域交流が今年は全国各地で再開されています。

昔、子どもたちと見たころに比べると、お神輿も子ども神輿も、子どもたちの人数もぐんと減ってしまったけど、お囃子の音色に心躍ります。

こうした地域交流が残っている自治区は人の力やエネルギーをとても感じるのです。何気ない会話や関わり合いが誰かの助けになったり、助けられたりしているものです。

こういった地域交流や地域の関わり合い見直していけたらと痛感しているところです。

今年も例年通り暑さが厳しく、連日体温並みの気温が続いていますが、土の多くや高い建物が少ない場所では同じ温度でも体感気温が違うなぁと感じました。

風が熱い風ではなく、心地いいのです。夏を全身で満喫している、そんな気持ちにさえなれました。

「味噌と梅干しを持って引っ越してきた!」と実家の親に言われております。

私にとって宝石や流行りの服より何より大切なものは、手作りの味噌と梅干しです。

めちゃめちゃ手がかかっている特別なものというわけではなく、昔からおばあちゃんが作り続けてきたような、昔ながらの味噌や梅干しですが、これに代わるものはないので何より大切にしています。

今年も梅を無事干せました。ありがたいことです。

干す前のぷっくりした梅を昼食のときに、父と母が喜んで味見していました。

やはり体温並みの暑さが続くと高齢者にはこたえるようです。暑さバテ気味の実父のために、

今夜はアクアパッツァにしました。程よい塩味とレモンの香りや酸味が暑さバテの身体にちょうどよかったらしく、白身魚をしっかり食べ、スープが美味しいと笑顔が戻りました。

よかった。

毎年7月末〜8月初めに義父母の命に関わる重大なことが起こります。なぜかいつもこの時期なのです…、何か意味があるのかもしれないなぁ。

今年は義父の生存確認が取れないという連絡が入りました。

私たち夫婦が同居している間は、長い時間、高齢者だけを置いて出かけることはしなかったのでそういった心配は起きなかったのですが、義実家から引っ越した後は義理の姉が義父母をみていたので、何が起きているのか理解するのに時間を要しました。

義姉がしばらく留守にしていたら義実家に入れず、郵便受けには新聞が溜まってるとのこと。義母はショートステイに預けてあるので、家の中には義父が一人でいるはずです。義実家は防犯上、通常の鍵の他に内鍵が取り付けてあるので、家の中から内鍵が施錠している(=在宅している)時は外からは入れないようになっているのです。義理の姉は鍵の救急を呼ぶと話していたので、そうではなく緊急事態だから警察に通報して生存確認をしてもらうように伝え、義実家に向かいました。

警察やレスキュー隊の方々にお世話になり、義父の意識があることが確認できました。

その日は幸運が重なった日でした。

私が茨城県ではなく千葉県柏市にいたこと。義実家へ駆けつける時間が全然違います。

いつもはエアコンをつけることを極度に嫌がる義父ですが、エアコンがつけっぱなしになっていたこと。エアコンを使っていなかったら間違いなく命を落としていたことでしょう。

叔父が前触れなく訪問をしたこと。あと一日発見が遅れていたら手遅れになっていたことでしょう。

アンラッキーなのではなく、ラッキーだったのだと私は思いました。

引っ越しをしてまだ二ヶ月程度だけど、これまでの良い意味での積み上げを感じた8月でした。

私の命への向き合い方は私自身の介護に表れていたこと。その結果を実感できたことがありました。

人との向き合い方は相手の私に対する対応に表れていたこと。そのおかげと思える出来事がありました。

やりきれないほどのタスクが積み上がって呼吸が苦しくなることもあったけど、やけを起こすことなく、ひとつひとつを丁寧に取り組み、ひとつひとつを自分でしっかりと考えて、ひとつひとつ仕上げていった積み上げと、ひとつひとつをやり遂げたという達成感の積み上げを感じた8月の始まりでした。

今月の折り返し地点となるお盆は、松戸と土浦の両方のお墓参りをし、手を合わせて今日を迎えた報告と感謝の言葉を心静かに伝えることができました。

自分のなかの結論と異なる事象を目の当たりにして驚くこともあるけど、それを責めたり、指摘したり、ジャッジすることに意識を向けるのではなく、それはそれなのだとして片隅に寄せておき、そこから学べることだけをいただき、自分のまわりと一歩先を大切にすることを忘れずに生きていこうと固く心に決めた8月になりました。

立秋を過ぎ、暦の上では秋を迎えていますがまだまだ夏を楽しめそうです。

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