すっかりご無沙汰していたブログ更新です。
7月31日に起きたことを記録を兼ねてブログにしておきたいと思います。
義母(夫の母親)82歳、要介護4認定、身体障害者3級。
普段よりパーキンソン病による自律神経障害がみられました。内容としては、血圧の乱れ、便秘など。
嚥下機能もだいぶ低下してきていたので、食事は柔らかめの一口大。便秘対策の献立も考慮していましたが、時々頑固な便秘になります。7月31日は一週間ぶりのお通じが朝9時頃に少量あり、その後も数回トイレで排便し、10時半の排便後あたりから義母の様子が一変する。いつも便秘したあとの排便後は血圧低下や顔面蒼白、ひどい時は意識喪失になるのだが、仰臥位姿勢にして2分もすれば正気に戻る。しかし、その日は仰臥位になっても、側臥位になっても、続いた。しかも腹痛が続く、顔面はみるみる青くなる、額には冷や汗が。そして吐き気とともに嘔吐した。食欲はない。飲水も少量。12時、昼食はほとんど食べない。12時のバイタル、BP:133/85 PR:100 R:20 KT:36.7℃ SpO2:98% 頻脈だなと思った。
午後もそのまま容体は変わらず、嘔吐は10回近くになった。その頃から私の中には、いつもと明らかに違うという思いと、症状から腸閉塞またはイレウスを疑った。15時のバイタル、BP:124/88 PR:95 R:21 KT:36.6℃ SpO2:97% 腹痛は波があり、痛みが強くなったり弱くなったりしている。仰臥位になると腹痛が強くなり、側臥位(右を下にする)だと楽になる。トイレに起きたが、意識喪失して転倒する。夫と二人掛かりでベッドに運び、仰臥位にすると間も無く気がつく。
15時過ぎに義母に「おそらく腸閉塞かイレウスを起こしていると思う。土曜日の午後で近所の内科は休診だから、救急の当番医に連絡をして診察してもらった方がいいと思う」と話した。なんでもなければそれでいのだから。当番医に電話を入れて、状態を話し、診察可能かを聞く。幸い受け入れ可能と返事をもらったので、急いで支度をし、自家用車で病院に行こうとしたが、起こして車に乗せようとしたが玄関で意識を失ってしまい連れていけないので、119で救急車をお願いしました(16:10)。救急車の手配が済んで次に、当番医の病院に事情を話し、救急車で向かうことを伝える(16:16)。
救急車が自宅に到着したのは16時25分近くだったと思う。簡単に状態を伝え、私が救急車に同乗し朝からの状態を詳しく救急隊に伝える。
土曜日の夕方、道路は渋滞していて、渋滞の列をかき分けるように慎重に救急車が走っているのが同乗していてわかる。救急の当番医に到着したのは17時。すぐに義母は救急処置室に運ばれ、手当と検査を受ける。
追いかけるようにして夫が自家用車で病院に到(17:25)。検査結果が出て、診察室に呼ばれる。感染症対策から診察室に入れるのは一名、私が入った。血液検査の結果、CT画像を見せてもらった。血液検査、白血球が高い、CRPはさほど高くない、カリウムが高くなっていた。CT画像、便がまだ残っていた。それと腹水。日頃から義母の血液検査の数値や画像は見ていたので、いつもと違うということに気づけた。腹水と白血球がきになる。腹膜炎を起こしていたら…と頭に浮かんだ。診察した救急外来の先生は、痛みも収まってきたようなのでこのまま一旦帰宅でも、と選択を迫るが、私は嫌な予感しかしない。予感は予感でしかないのだが、私は思ったことを医師と義母に話をして、結局、造影剤CT検査をしてもらうことにした。造影剤は血管を白く写すので、腸閉塞や虚血の有無が判別できる。
造影剤CTの結果、絞扼性腸閉塞(腸捻転)であることがわかった。その瞬間、よかったと心の中で叫んだ。やっぱり、と。そのまま義母は緊急手術となり(21:00〜22:30)、入院となった。
手術後に執刀医から話があった(23:15)。絞扼性腸閉塞であったこと。開腹して、思ったより状態が良くなかったこと。壊死した部位が穿孔して腹水がかなり汚れていた。腹膜炎を起こす一歩手前であったこと。切除した部分が40〜50cmだったこと。虚血していて壊死が始まっていたこと。早い対応でよかったこと、などなど。「切除した小腸見ますか?」と言われ「見ます!」と即答した私。壊死した部分はまだ少しだった。絞扼性腸閉塞は虚血を伴うことから一刻を争う。6時間もすれば壊死が始まると聞いたことがあったので、一旦帰宅して様子を見るという選択をしなくてよかったと。
子どもたちが小さい頃に、よくお世話になった小児科医の看護士さんから言われた言葉があります。
「子どもにとって一番の名医はお母さんですよ」
この言葉の意味は、どんなに素晴らしい経歴の医師でも気づかないことがある。でも、お母さんは子どものちょっとした変化や異常に気づける。そのお母さんの感じる違和感というのは医師の診断に大きな助けとなるというような意味でした。
普段から、介護をしながら義母の体調や状態を知っていたからこそ、気づけたのかもしれない。その夜は自分で自分を褒めました。帰宅したのは日付を超えるころ。義父は着替えず、横にもならずに家で待っていてくれました。家族がみんな頑張った日でした。
救急隊員や医師に見せた、7/31の私の記録↓
緊急時には、バイタル、どこが?どうおかしい?いつから?どのくらい?どうすると良くて、どうするとだめ?等をまとめています




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