涙がわけもなく溢れるときもあるけれど、
いつものように朝起きて、
いつものように食事の支度をして、
いつものように義母の清拭をして、
いつものようにハグをして、
いつものように掃除や洗濯をして、
いつものように…、
いつものように…。
おかげさまで徐々に喪失感から日常に戻りつつあります。“時間薬”ともいいますが、案外、“いつものように”過ごすことが功を奏しているのかもしれません。
きっと最期をしっかり看取ることで、後悔も残らずに次へ進めたのだと思っています。

生きている間にヒトは様々な経験をします。楽しい経験だけでなく、苦しい経験や、今回のような悲しい経験、ドキドキするような経験、初めてのことで手探りな経験、などいろいろです。
「生きている間に起こることに無駄なことはない」と私は思います。何一つ無駄なことはない。
私はまだ49歳の若輩者ですが、学びのあった経験って何かな??と考えてみました。転校や引越、結婚、出産と育児、離婚、再婚、流産、介護、看取り、なのかな。子どもは前夫との間に3人います。
転校や引越をすると、出会える友達の数は平均よりも多いかもしれません。でも、新しい環境に順応するのに苦労があったり、”いじめ”に遭ったのも経験の一つです。そこから学んだことや、身につけた知恵は大人になってからも役立ちました。精神的に鍛えられたと思います。痛みを知ったヒトは”優しさ”と”本当の強さ”を知ります。いじめといっても、最近のモノはとても陰湿ですね。私が受けていたモノとは全く違うので、とても心配になります。
”結婚”って、ある意味深いなとバツイチ再婚女は思っています。最初に結婚した時と、二度目に結婚(再婚ですね)した時では、私自身の捉え方が随分違いました。離婚をしたあと、正直いうと、(もう結婚はしなくていい。一人で生きていきたい。)と思っていました。はっきり言って煩わしい!とさえ感じていました。一度家庭を持ったあと、一人になり、すごく色々な思いをしました。謂れのない言葉を吹きかけられたり、誹謗中傷は山ほど浴びせられて、これもまた鍛えられました。ヒトの吐く言葉って怖いなって思いましたね。それでもまた結婚するという道を選んだことに私は大きな意味があったと思っています。きっとね、相性とか、相手の気性も関係すると思うけど結局自分の問題。乗り越えられなかった壁というのは何度もやってきて、それを越えられないうちは同じ景色を何度も何度も繰り返し見ているしかないんだなって。だから、今夫とは前に越えられなかった壁を越えてみたいって思っていますし、必ず越えられると確信してます。その先の景色を夫と一緒に見ることが楽しみなんです。結婚って他人同士が共に生きていくこと。自分が選ぶ、血の繋がりのない家族だから、ある意味深いんだと思っています。こういう他人同士の共同人生を歩んだことのあるヒトと、全く歩んだことのないヒトとではやはり違いを感じます。ストレスを感じても、結婚生活はヒトを変えてくれる力があるのかもしれません。
”子育て”は”親育て”です。親は子どもを育てているように見えますが、実は全く逆で、親が子どもに育てられているんですね。もちろん、生まれたての乳飲み子のお世話をしていることに違いはないのですが、子どもを育てる過程で、親は子どもから本当に多くのことを学びます。その量は人によって異なるかもしれません。多くの気づきを得た親は、大きく大きく育てられたと感じるでしょう。いつまでも親目線で「育ててやってる!」と勘違いしている親は学ぶことを拒否し、成長のない老いぼれとなっていくのでしょう。子育ての経験の有無は社会に出ると大きな差になります。私もこの歳になって、多くの人を見ていて感じたことです。子どもに恵まれないご夫婦もいらっしゃるので(私も今夫との間に残念ながら子どもはおりません)、それで善し悪しは言いませんが、大きな学びのチャンスの一つであることは間違いないです。
”介護”も”子育て”と近いものがあるな〜と正に今、感じているところです。子育てと違う点は、対象者が ”まだ何もできない子ども”ではなく、”人生の先輩である親世代(中には子どもや配偶者の場合もあります)” であること。そして 、”だんだんできて手が離れる” のではなく、”だんだんできなくなってさらに手がかかるようになっていく” ということと、ゴールが子育ての場合は”子どもの自立”ですが、介護の場合は”死”であるという部分です。介護はやっぱり大変です。人によって感じ方は違うと思いますが、できればやりたくないものだろうし、嫌な思いをすることも多く、身体的負担もかなり大きいです。「お風呂に入れる」や「オムツ交換」で考えても、「子ども相手」に行うのと、「大人相手」に行うのとでは身体的負担の違いがわかりますよね。大変なことは間違いなくありますが、それでも介護を通して学ぶことが日々あります。こうした経験から今、私は学んでいる(成長している)途中なんだな〜と感じています。もし、”介護” をする機会があったとしたら、ぜひ経験してみるといいと思います。自分自身の生き方を見直す機会になったりもしますよ。私のように在宅介護では負担が大きいですが、別居で訪問介護してみたり、拠点を施設に置いて時間のあるときに面会しながら介護をするのでもいいと思います。今は介護サービスが充実しているので、自分の暮らしにあった介護スタイルを選択できると思います。
そして介護の先にある”看取り”。私は祖父母や先日の愛猫で経験をしましたが、ヒトの”死” に臨するというのはとても大きな経験だなと感じます。そこから学ぶこともありますが、それよりも「命」そのものを感じます。ヒトだけでなく、私たちが食べているものも「命」ですよね。全力で命を全うする姿を目の当たりにすると、(しっかりと生きなきゃ!)という気持ちになります。いずれ私にも命が尽きる時がやってきます。その日が来るまでに「やるべきことを見つめて、自分の足で地面をギュッとつかんで立って生きたい」今はそう思っています。
毎日、つまらない情報にヤンヤヤンヤと踊らされるよりも、「自分」という命をしっかりといきていくことの方が忙しい。人生に起こることに無駄なことは何一つないから、身の上に起きた経験から多くのことを謙虚に学べるヒトでありたいと思います。



本当に無駄なことは一つもありませんでした。
67年間生きて生きてそう思います。
共に素敵な人生歩みましょう!
今日のお弁当も美味しそう!
食べてみたいよ〜!笑
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Rumikoさん、コメントをありがとうございます。そう、無駄なことは一つもないですよね!そう思えると元気が出てきます\( ˆωˆ )/
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