しいなゆきこ『5月』

夫の実家に在宅介護目的で同居を始めて1年。

最近では介護日記のようなブログになってしまって、読む人にとって有益なブログではないのかも…と思うのですが、それでも私の介護記事が、同じように介護をしている誰かの励ましや、心の居場所に少しでもなっているのだとすれば、嬉しいなって思います。

介護の悩みは声をあげにくいものが多いんです。なぜって?理解されないし、救われないことの方が多いから。子育てが十人十色であるように、介護ケースも一律ではなく家庭によって異なりますから、実際にその立場であったり、経験があっても当人の状況は把握しにくいものなのです。介護の環境が閉鎖的であることもよくないなと感じてたので、あえて私は日々の介護生活をブログにしています。

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介護をしている人が負担に感じることって、①要介護者が困らせる ②自分一人が犠牲になってるように感じること —この2点が大半なのかなって思います。

これといった解決法が私にはまだ見つけられないけど、「①要介護者が困らせる」については、この一年間に心当たりがあります。困らせる行動をする原因を見つけると、案外終息することがあります。我が家の場合は、義父の暴力と暴言でした。過去記事に詳しく記載してありますが、「どうして怒鳴るの?」という義父の気持ちになってアレコレと考えました。(過去記事→しいなゆきこ『在宅介護の困りごと』)そして考えた結果、私にできることを実践しています。あれ以来、義父は落ち着いています。これが正解だったとは思わないけど、なぜかな?と一歩引いた目で見て、考えることで解決する場合もあります。

「②自分一人が犠牲になってるように感じること」については、これもまた正解なのかわからないけど、私なりの解決法(=心の置き処)を持っています。それは、なぜ自分が在宅介護を始めたのか?という出発点です。(過去記事→しいなゆきこ『介護同居は願いを叶えるプロセス』)私個人の願いは「家族が健やかに暮らすこと」。私の両親も、夫の両親も、おじおばも、兄弟も、いとこも、子どもたちも。その願いを叶えるために介護をしています。要介護者のために始めた介護ではなく、自分自身の願いを叶えるために始めた介護だから、自己犠牲という概念がほとんどないです。これが、要介護者のためだけに、仕事としてではなく家族介護をされているとしたら…おそらく心の負担が大きいのではないかなと思います。

一年を振り返って…と感想をバンッと書きたかったのですが、一言では言い表せないです。嫌なことは山ほどありました。でも、どんなに嫌な気持ちになっても私の生き方はブレずに「家族が健やかに暮らすこと」 —これだけ。その反面、嬉しいこともたくさんありました。

嫌なこと、嬉しいこと、どちらもあって当たり前。

その両方があることこそが人生を豊かにするからです。

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<介護に関する過去記事一覧>

しいなゆきこ『介護同居はじめました!』

しいなゆきこ『介護同居は願いを叶えるプロセス』

しいなゆきこ『高齢者のお食事について』

しいなゆきこ『義実家同居物語〜1ヶ月編』

しいなゆきこ『令和の梅干しづくり』

しいなゆきこ『椎名家フェニクスとともに〜復活』

しいなゆきこ『骨ゲンキ!お食事ポイント』

しいなゆきこ『私にとっての介護とは何か』

しいなゆきこ『わたしが見つけた介護のポイント』

しいなゆきこ『誰でも宝を持っている』

しいなゆきこ『実例からフレイルを考える』

しいなゆきこ『在宅介護の困りごと』

しいなゆきこ『如月と介護と看取り』

しいなゆきこ『在宅介護における食事の問題』

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