しいなゆきこ『介護ってどんなことだと思いますか?』

思い起こせば一年前の3月に、”今が義両親と同居介護をするタイミング” だと夫婦で決断しました。突然思いついたことではなく、数年前からそれとなく家族に話を持ち出していたのですが、「まだまだ大丈夫!」というご両親の言葉や義姉の反対から、近くで見守り介護をしていたのですが、ちょうど一年前に状況が変わり、いよいよ介入が必要だと判断し、具体的に話を進めました。

あれから一年です。

何か物事を判断するとき、私は身の回りの状況だけでなく、その場全体の空間を見るクセがあります。これは子どもの頃からのクセで、それがどうやって身についたのか自分でもわかりません。

組織や集団で(歯車がギシギシ音を立てているな〜)と感じたときには歯車にオイルを差すように、不具合の箇所を直したり、補給したりと、自分から声をかけて動きます。うまく歯車が回るようになればそれでいいのです。 

例えば学校で、ひとりの子が縦笛の音が上手に出せなくてクラスの合奏についていけない、合奏がまとまらないという出来事がありました。私はその子と休み時間や放課後、一緒に縦笛の練習をしたことがありました。 

このときの大きな歯車は「クラスみんなが気持ちよく、みんなが満足に合奏をすること」になります。

クラスの演奏についていけずに哀しい顔をしていた子にも同じように気持ちよく合奏して欲しいし、満足した演奏をして欲しい。その子の笑顔はクラスみんなの笑顔に繋がると考えていました。何事でも得意な子と不得意な子がいるのは当たり前なんです。私のとった行動を「いいカッコしぃ!」と蔑まれたり、悪口を言われたこともあったけど、点数稼ぎでしたわけではないし、苦手なことを手伝っただけのこと。言われる筋合いもないので、悪口言った子の名前は今でも覚えてるけど、もはやどうでもいいと思っています。結局、合奏の当日、縦笛が苦手だった子も上手く音が出せて、ニコニコの笑顔で演奏できたし、クラスのみんなが笑顔で合奏出来ました。私はそれでいいんだって、それが嬉しかった。そんな思い出もあります。

いつも自分のまわりだけでなく、全体をみる。介護や親の老後に関しても、俯瞰して見た場合、私たち夫婦が同居して在宅介護をすることが、義両親にとっても、私たち夫婦にとっても、私にとっても最善の方法でした。それで本当によかったのかという結果は最期までわかりませんが。

それでも、わかったことがあります。

介護とは「生き方の応援するものだ」ということです。世話をやくことが介護ではないということ。

もともと私は「介護」という気持ちより「介助」や「見守り」、「お手伝い」くらいの気持ちでいたので、より強くそう感じたのかもしれません。

介護される人の生き方、どう生きていきたいか、どう人生を終わりたいかを応援することが介護の本質なんだと思っています。

だから、「手を差し伸べた回数」よりも、「その人らしく生きられたと感じた回数」に注目すべきなんです。その人らしく生きられなかった日には、どうしたらその人らしく生きられるのかを必死に考えます。失敗したことを責めるのでなく、どうしたら目指すものに近づけるのかを考えます。答えなんか初めからわかりません。試行錯誤の毎日です。

「普通に家で暮らしたい」という義父母の希望をかなえるために、特別なことはせず普段通りに、喧嘩もすれば、笑い合う日もある、そんな毎日を過ごしています。

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