昨年5月から、夫の両親の在宅介護をしています。
今日、心に響いたコラムがありました。幡野広志さんが一年間連載したコラムの最終回です。
<参考>幡野広志(はたのひろし):写真家、元狩猟家。2016年息子誕生、2017年多発性骨髄腫発病。新刊『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』(ポプラ社)、『写真集』(ほぼ日)。幡野広志さんのブログは→こちら
連載タイトルは「生き場所と死に場所をさがしている。」で、最終回のタイトルは「生き方を奪われない」。
これが在宅介護中の私の心に響いて、すんごくよかった!
全掲載はできないので、所々抜粋してみます。
・患者の意思ではなく、最終的に家族の意思を最優先していないか?これは本当に患者さんの為になっているのだろうか?誰のための医療なのだろうか?
・優しい虐待に、医療者は加担してしまっている。
・生き方と死に方は、医師でもなく家族でもなく患者が決めるべきだ。死に方を決めると、生き方が自然と見えてくる。
訪問看護と介護(医学書院)vol.24 no.12 2019より
耳の痛い話やフレーズもあるけれど、「いったい誰のためなの?」という部分って、すごく大事なんじゃないかなって、忘れがちだけど本当は一番大事なんじゃないかなって思います。
私は在宅介護をする前に、夫の両親と「死に方」を話したことがあります。そんな深刻な話ではなく、「どうしたい?」という軽い会話程度でしたが、そこには夫の両親の意思が込められていました。その言葉を私たち夫婦は受け止め、昨年5月に同居のために引越しをし、現在の在宅介護に至ります。在宅介護と言ってもそんな仰々しいものではなく、「見守りが基本」と考えています。夫の両親の今までの生活の積み上げがあるので極力それを尊重し、要介護4の義母のお手伝いと、義父の見守りをしています。とはいえ、終日介護に時間を取られる日が最近では増えてきましたが、極力手は貸しません。排泄も自力で出来るうちは自力で。失敗は毎日のこと。でもそれは掃除と洗濯をすればいいだけのこと。大した問題ではありません。
そんな毎日を送っている私にとって、幡野さんのコラム、たった3ページだけど心に響きました。読んでよかった!
これからも生き方を奪わない介護を目指していきます。
幡野さんと同様に、日本の医療が良くなることを願いつつ。



