
「それって”あたりまえ”だよね⁉︎」
「それって”常識”でしょ!」
そんな言葉をよく耳にします。
では、”あたりまえ”ってなんでしょう? ”常識”ってなんでしょう?
毎日同じように起こる出来事を「あたりまえ」だと思っているかもしれません。
- 毎朝目覚めるのは「あたりまえ」
- 毎日食事ができるのは「あたりまえ」
- 息ができるのは「あたりまえ」
- うまれてきたのは「あたりまえ」
- 家族が毎日帰ってくるのは「あたりまえ」
- 水道の蛇口をひねれば水が出てきて飲むことができるのは「あたりまえ」
想像力をはたらかせてみてください。
- 「あたりまえ」に一緒にいる人
- 「あたりまえ」に自分ができること
- 「あたりまえ」に誰かがやってくれていること
- 「あたりまえ」に感じている環境
どれも「あたりまえ」のことなのでしょうか? 当然のことなのでしょうか?
私たちはつい、「慣れ」から、今ある状況を「あたりまえ」と思い込んでしまいがちですが、よく考えてみると、世の中に当たり前なことなんて一つもないことに気付きます。
身近な話に例えますと、毎日洋服が洗濯されていて、部屋の中が片付いていて、食事が用意されているのは、「あたりまえ」「当然」のことですか?
あなたが仕事をしている(学校に行っている)間に、誰かが自分の時間を使って、洗濯をしてくれているということ、部屋を掃除をしてくれているということ、食事の支度をしてくれているということなのです。
「Time is money(時は金なり)」と言いますが、お金は増えたり減ったりしますが、時間は増えることはありません。減るだけですよね。つまり、時間は命そのものなのです。「時間」を使うということは、その人の「命」を使うということになるわけです。全然あたりまえじゃないことに気づきましょう。

では、常識ってなんでしょう。
「常識」や「普通」は、自分自身が積み重ねてきた毎日の経験・生活環境・思考癖(考え方の癖)などが作り上げています。そして、その経験・生活環境・思考癖はその人その人ごとに違います。あなたと、いま目の前にいる人とは、生きてきた時間・経験・環境・食べてきたものが違いますね。ですから、あなたの「常識/普通」=相手の「常識/普通」ではないことを忘れてはいけません。そして、常識とルールも違うものです。「ルール」とは、集団が円滑に過ごすための約束事ですから、その集団の中での共通認識となりますが、「常識/普通」というのは約束事でも共通認識でもなく。個人の勝手な認識にすぎません。それを「それって常識でしょ?なんでわからないの?」、「普通にやってよ、普通もわからないの?」というのは単なる我の押し付けにすぎないということです。
つい「あたりまえ」や「常識」と言ってしまいがちですが、例え、自分が想像していたものや考えていたことと相手が違っていたとしても、「あたりまえ」や「常識」という言葉で片付けることなく、「どうしてそうしたのだろう?」「どうしてそう考えたのだろう?」と想像力をはたらかせたり、コミュニケーションを深めることで、相手を知り、認め、尊重することで、相手もあなたのことを知り、認め、尊重してくれます。
その上で、自分ができなかったことをしてもらったときには「ありがとう」。過ちを冒してしまったのなら「ごめんなさい」を伝えればいいのです。ここで大事なのは、ただ「ありがとう」「ごめんなさい」という言葉を口にすればいいというわけでなく、相手に伝えるということ。ここでは ”伝える”ということがポイントです。伝えるわけですから、相手に伝わる言い方をしましょうということです
人は人を支え、人は人に助けられます。そのときに必要なことは相手を想う気持ちや心のゆとりであり、「ありがとう」「ごめんなさい」という幼い頃に教わったことだけです。
大人になると、照れ臭かったり、プライドが邪魔をしたり、格好つけてしまいがちですが、生き方も人間もシンプルが一番です。
今日を丁寧に、そして大切に。



