介護同居を始めて早3ヶ月が経ちました。実はまだ引越しの荷物が全て収まっていない状態なのですが(それどころではなかった…汗)、月日は容赦なく過ぎ、時間の経過とともに家族も私にも変化がありました。
先月は、あまりにもいろいろなことが重なり厳しいひと月でしたので(過去記事→しいなゆきこ『椎名家フェニクスとともに〜復活』)、ついボヤいたり、グチったり、涙があふれる日もありました。
でもそれは、私が ”生きている” 証なんですよね。

在宅介護をしていて一番ストレスに感じるのは「物事を中断すること」です。
仕事の途中、家事の途中、勉強の途中、トイレの途中、睡眠の途中。
これは子育てと同じです。何かに打ち込んでいるときに中断しなくてはならない…これが私にとって一番のストレスです。最後まで気持ちよくコトを終わらせたい。気にせずトイレに入りたい、朝までぐっすり眠りたい、ただそれだけ。命と向き合うのですから、ある程度は仕方のないこと。それでも振り回されてばかりではなく、時には待ってもらうこともお願いしています。介護者・被介護者の一方ばかりが我慢を強いられることのないように、お互いに譲歩しながら合意点を見つけるようにコミュニケーションを取り、信頼関係を築くのも介護の大事な要素かなと思います。
こういう話をすると、「介護=ブラック」と思われがちですが、決して悪いことばかりではないです。介護を通して、自分自身が成長するのがわかりますし、貴重な活きた経験だとも思っています。命と向き合う時間はいつも真剣勝負だからこそ気づくことがあるし学ぶこともあります。もちろん反省することも。介護を通して、大きな経験をさせてもらっているといつも思っています。「介護してあげている」という上から目線ではなく、「自立を助ける伴走者」のような気持ちでいつも接しています。
40歳を過ぎた頃から、”親の介護” を考えるようになり、友達や幼馴染との話題も介護に関する話が増えてきました。子育てをするときが「ママ友」ならば、いまは「介護友」とでも言いましょうか、同じように介護の現実に向き合っている友人と話す時間は、心強く、そうした共通話題のある友人の存在が何よりもありがたいと感謝しています。
本当は介護なんて必要ないのが一番なんです。
健康寿命ってご存知ですか。「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」のことです。

<参考資料:平均寿命と健康寿命をみる 2 – 厚生労働省>
上の図は厚生労働省の資料を抜粋したものですが、平成22年の男性・女性の平均寿命と健康寿命の差をみると約10年あります。日常生活が制限されることなく生活できる年齢から寿命とされる年齢までが約10年あるのです。この10年間に介護が必要とされるのです。介護が必要ない人生とは「寿命=健康寿命」であること。そうありたいものです。
以前もブログに書きましたが、私の願いは「家族が健やかに暮らすこと」です。(過去記事→しいなゆきこ『介護同居は願いを叶えるプロセス』)
「私、親の介護してます」と話すと、たいていの方が「自己犠牲」とか、「振り回されている」などと心配をして声をかけてくださるのですが、世の中一般的に介護ってそういうイメージなのでしょうか?少し残念です。
私は違います。
たしかに冒頭にも書いたように、中断することが増えたり、思うように外出ができなかったり、不便・不都合は生じました。でもそれは介護に限らないことですよね。そして、解決法があり、どうにもならないことではない。もっといえば、言葉は悪いですが、一生続くことでもないのです。「親の介護が必要な時期を自分はどう過ごすか?」の方が私には重要だった。

「家族が健やかに暮らすこと」—私の願い。
どういう状態が健やかに暮らすことなのか?を考えたとき、「自立して衣食住を営むことができること」だと私は考えています。
- 汗をかいたり、汚れたら洋服を着替える。季節にあった清潔な洋服を身につける。
- 空腹を満たすだけの間に合わせの食べ物ではなく、いまの体に必要なものを食べ、食事の時間が楽しい、美味しいと感じること。
- 嫌悪感なく、不衛生ではなく清潔に、気持ちよく自宅で暮らすこと。
これらのことを自立して営むことができるのなら介護は必要ないのですが、義父母の場合、どれひとつとして満足にはできない状態でした。仕事一筋の義理の姉は、私たちが同居することを最後まで反対し、「私の部屋がなくなる」、「私が泊りに行けなくなる」、と罵倒されましたが、義父は自動車免許返納したばかりで通院ひとつがとても大変なこと。間に合わせの食事しかできない状態なのに、週1回の作り置き惣菜を届けるだけでは十分なサポートにはならないこと。掃除もできず埃だらけ、入浴もできず…、そんな状態でしたので、ワガママは却下させてもらい、半ば強制的に同居を実行しました。
同居をしてみて…、もっと早くにサポートしてあげればよかったと思うことばかりです。体のきかない義母のお世話を長年続けていた義父の心身は最早限界でした。義母のワンオペ介護から解放された義父はようやく自分自身の体と向き合うことができるようになりました。体の声を聞くことができました。間に合わせの空腹を満たすだけの食事、食事代わりの間食三昧。どれも今の義父の体の不調(症状)を作ってきたものです。もっと早くサポートしてあげれば変わっていたかもしれないと、自己満足かもしれませんがそう思えてならないのです。

介護に限らず、人と人が一緒に暮らせば感情の衝突や多少の我慢はあって当たり前です。夫婦だって同じ。別々に生きてきたもの同士がひとつ屋根の下にいれば違って当然だからです。
私は「死に様は生き様」と思っています。自分自身もそうですが家族に対しても、息を引き取るときに(ああ、よかった)と思えたら幸せだなって。豊かな人生だなって思います。
親の介護を正当化する訳ではなく、私は「自分の人生これでよかった!」と思えるような生き方をしたいから親の介護と向き合っています。考え方は人それぞれですから、必ずしも介護をすることが正解とは思っていません。正しい、正しくないというジャッジすら必要ないし、余計なお世話だと思っています。
人がなんと言おうと、人と違おうと、「自分がどう生きたいのか?」それが一番大事なこと。
今日を丁寧に、そして大切に。



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