しいなゆきこ『高齢者のお食事について』

数年前から「老害(ろうがい)」という言葉が聞かれるようになりました。私自身はこの言葉があまり好きではありません。

「害」という文字が含まれることから意味は想像つきますが、「老害」は決していい意味ではありません。簡単に言えば「困った老人」のことを皮肉った言い方です。誰にも老いはあるものです。ですが、老いたことに自身の中で認めず、今まで通り(自分はできる、変わらないと信じて)行動することが原因で迷惑をかける人のことをいいます。

かつて、「老人は敬うもの」という価値観が日本にはありました。今でもその価値観が残っている地域もあるけれども、昔に比べて高齢者への尊敬意識は薄れてきているように思えます。例えば、今や社会問題となっている高齢者による自動車事故の増加もそのひとつです。高齢ドライバーの自動車事故は老いにより「危機回避能力」「運転技能」「視力」「判断力(スピード)」が低下していることを自覚せずに今まで通り大丈夫と行動して招いた結果がほとんどです。

1af7d519f24fb5bd3036a78bc1763086_s.jpg

なぜ、かつては敬われていたのに薄れてきたのでしょうか?

 

次のようなことが考えられます。

1.平均寿命が延びたこと:昔の平均寿命は今よりはるかに短かったのです。「人生七十古来希なり(じんせいしちじゅうこらいまれなり)」と言われ、昔から70歳まで長生きする者はきわめて稀でした。それに比べ現代は人生百年(一説には百二十年)と言われています。平均寿命が延びたことから高齢者が珍しくない「高齢化社会」となりました。高齢化社会とは、総人口に占める概ね65歳以上の高齢者が増大した社会のことです。そうなると「おばあちゃんの智慧(ちえ)」の価値は下がってきてしまいます。

2.老人の智慧(知恵)を継承する機会の減少:戦後より「核家族」が急増し、かつてのような大家族世帯は減少してきました。戦前は「三世代家族」が当たり前で大多数でした。三世代家族では、祖父母から若い親に育児や暮らしの慣習や経験が伝えられ、子どもは親からだけでなく祖父母からもしつけを受けて育ちました。核家族化が進み、知識や経験を継承する機会が少なくなり、また若い世代に継承すべき知識も文化も持ち合わせない高齢者も増えてきているのが現実です。

3.知識や学習の普及:時代の流れとともに学習手段や知識の流通手段が進歩したため、書籍・インターネット・カルチャーセンターなどを介して簡単にアクセスできてしまう世の中となりました。前項の高齢者からの先人の智慧を継承する機会の減少とともに知識を自ら学ぶ機会が増えました。

これらのようなことから、尊敬の念や敬う意識が薄れていったのかもしれません。

818e8b5b8e4fbf3318c273df71c4f089_s

 

では、一般的に「老害」といわれるものはどんなものなのでしょうか?

 

テレビの報道や、街角で見かけるこんな困った行動を見かけたことはありませんか。

1.頑固で自説を曲げない:自分の考えこそが正しいと信じて疑わない。他人の意見に聞く耳を持たず、誤りであると思っている傾向があります。

2.怒りっぽい:短気でせっかち、怒りっぽいところがあり、急にわけもなく怒っているように見えることがあります長い人生を生きてきたという自尊心から自分は偉いと思い、些細なことに必要以上に、時には激高して理不尽に振る舞います。

3.価値観の押し付け:自分の価値観こそが素晴らしく正しいと思っているので、それを人に押し付けてきます。その価値観は時代にそぐわないものでも、「昔はこうだった」「今の若い者はダメだ」というのが常套句。

4.話が長くてくどい:話を聞く相手の状況までには配慮することができません。また、自分が一番と思っているので、他の人の話の内容に聞き耳を持たずに一方的に話します。

5.都合よく老人を主張:困った時や、自分に都合のいい時には、弱い高齢者であることを言い訳にします。

実際に人生の大先輩であるはずの高齢者が子どもでもわかることが守れなかったり、「いいんだ!」と身勝手な判断をして迷惑をかけている姿をよく見かけます。(あらあら…)と、とても悲しく残念に思います。

3975c4390be553f73d75e694000c691b_s.jpg

 

「老害」とならないために

 

核家族化が進み、高齢になると配偶者に先立たれ「単独家族」となるケースが増えてきます。

高齢になるとかつてのように身体が動かなかくなるため、身の回りのことや食事の支度さえも億劫になります。「昔はキレイ好きだったのに今は…」というケースは決して珍しくありません。やりたくても、気になっていても、出来ない場合が多くなるのです。

さらに一度に食べられる食事の量もグンと減ります。

食べる量が減ってしまうからこそ、(なんでもいいや!)ではなく、食事は質の良いものを食べてほしいなと思います。

私たちの身体は、私たちが食べて吸収したもの以外からは作られません。食べて、吸収されたものから作られているのです。

そして、私たちの身体は、60〜100兆個というとてつもない数の細胞からできています。これは年齢にかかわらず皆同じです(多少、細胞の数は異なりますが)。

そして、水、タンパク質、脂質、ミネラル、炭水化物から身体は構成されています。

ひとつひとつの細胞の働きや、たくさんの代謝や化学反応を繰り返しながら私たちは生命活動を営んでいます。

頭の判断力が鈍ったり、情報伝達が滞ったり、柔軟性に欠け頑固になる。

これらは生まれ育った環境にもよりますが、毎日の食事である程度、改善・解決できることでもあります。

だって、体を作っているものは食べたものだから

誤作動や不具合が起きるのは、食べたものが合わなかったり。質が良くなかったり、効率よく吸収されていなかったり、きちんと代謝されていないために起こる症状です。

症状が出るのは病気だからなのではありません。症状は身体からのサイン、SOSなのです。そのサインに気づかなかったり、SOSをそのままにしておくから病気になるのです。

食べる量が少なくなったからこそ、質の良いものを選んで食べて、細胞を活性化させてほしいと思います。そうすれば「老害」という言葉も、悲しい事故も少なくなると私は思っています。

油の質、野菜・肉・魚の質、使用する調味料の質。これらでずいぶん変わります。

5ff482daef046ff0cc81b9336d9927b2_s.jpg

義実家に介護同居をしてもうすぐ1ヶ月になります。

義父母の食べる量はわずかですが、毎日のお食事には質の良いもの、身体に必要なものを用意しています。おかげさまで先日、毎月訪問してくださるケアマネージャーさんから「義父母の顔色が良く、体調が良くなりましたね!」と声をかけていただきました。

食べるもの、暮らしの環境がととのえば、自ずと身体も心もととのってくるものなのです。

高齢者のお食事も大切です。

 

今日を丁寧に、そして大切に。

“しいなゆきこ『高齢者のお食事について』” への4件の返信

コメントを残す