しいなゆきこ『3.11をわすれない』

2011年3月11日のこと

 

8年前の今日。

午後2時46分に、私たちはかつてない大きな災害を経験しました。

 

大きな揺れが何度も押し寄せる中、私は仕事で都内23区内のボンベ交換のため、車からボンベを下ろし、ボンベを転がしていました。

(なんかふらつく…。)

はじめ、地震とは気づきませんでした。

付近の住民の方が次々に家の中から飛び出してきて「地震だぁー!」と叫ぶ声で、ようやく自分の身に何が起きたのかが理解できました。

 

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当時の私は、ガス販売会社に勤めており、私の勤めていた地域は、同じ会社のグループ内で最も地震による破損や被害が大きく、地震の発生直後から対応に追われました。

電気・ガス・水道といえば、生活のライフラインです。

普段は電気もガスも水道も使えることが当たり前ですが、災害時には安全確認と早期復旧が急がれます。

ライフラインの安全確認、安全確保、修繕…、電話は当然繋がりません。

女性事務員さんは早くに帰宅指示が出ましたが、現場は夜中まで緊急対応に追われました。私も現場担当でしたので男性同等、作業が完了して、緊急対応が解除されるまで、連絡の取りにくい中で仲間たちと連携を取りながら対応に当たりました。

ようやく緊急体制が解かれて帰宅した家の中はガラスまみれでした。愛猫はこたつの中で震えていました。(ひとりで怖かっただろうに、早く帰れなくてごめん。)当時わたしは一人暮らしをしていたので、心細いなか、愛猫のマリオと支え合うように過ごしました。マリオのぬくもりに何度も救われました。殺伐とした状況下、体温を感じることがどれほど勇気をくれたことか。きっとマリオも同じ気持ちだったと思う。私のそばを片時も離れませんでした。

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翌日以降のこと…

 

テレビの報道を見て言葉を失いました。ひっきりなしに鳴り響くテレビと携帯の警報音、今もトラウマです。あの緊急音を聞くと、ものすごく不安定な気持ちになり、あの日がフラッシュバックします。

— わすれない。

ガソリン不足、食料品が棚からなくなる、テレビからはCMが消え、信じられない光景が映し出されたこと…。

— わすれない。

計画停電という「電気のない暮らし」を経験します。仕事から帰っても、電気がつかないので、真っ暗な部屋の中でマリオと温まりながら過ごした時間。様々な知恵も生まれました。

— わすれない。

わたしの実家(茨城県)はライフラインが止まり、両親と連絡がつかない日々。

甚大な被害を受けた地域(岩手県宮古市)に住んでいる友人と連絡がつかない日々。

両親や宮古の友人と連絡が取れた時は、涙が止まらなかった。

無事でよかった。

生きていてくれてありがとう。

…そんな思いをした日から8年。

— わすれない。

わたしの生活も考え方も、生き方も、大きく変わりました。

変わらず元気な声を聞かせてくれる宮古の友人の存在は、わたしの希望です。

今日からまた5年後、10年後、さらにいい方向へ向かっていることを願ってやみません。

当たり前なんて、ひとつもないから。

 

キャンプへの想い

 

私がキャンプを始めたのは、子どもの頃から野宿への憧れがあったことと、この3.11の経験も大きく影響します。

便利な暮らしに慣れすぎると、なんでもあることを当たり前に感じてしまいがちですが、キャンプでは不便が当たり前です。そんなことから、キャンプは非常時(非日常時)の訓練になると思っています。

キャンプ場には、電源サイトもありますが(キャンプを始めた頃は利用していましたが、今は利用していません)、電気のないのが普通です。日が暮れれば、灯りをとらなくては私たちは暗闇では何もできません。

キャンプに行くと、いつも思うことがあります。

月明かりを見るたびに、8年前の地震の後の計画停電を思い出します。

当時、夫と私は同じ草加営業所に勤めていました。大変な時期を一緒に乗り越えたこと、様々な辛い出来事や、計画停電で真っ暗な夜に月の明るさに救われたことを夫婦でいつも思い出します。

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最後に。

 

自分ひとりに何ができるのかわかりません。

何度も募金をしました。ちゃんと必要としている人の手に届いてほしい。

ちゃんと届いているのかな…と。

今でも辛い思いをされている人がたくさんいます。

私ひとりに何ができるのかわかりません。

それでも、何もせずにはいられません。

 

 

 

 

 

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