(長文です、毎年同じような文ですが、この日を忘れないための記録です)
7年前の今日。
午後2時46分に、私たちはかつてない大きな災害を経験しました。
大きな揺れが何度も押し寄せる中、
私は仕事(当時はガス屋勤務)で都内でボンベ交換をしに、ボンベを転がしていました。
(なんかふらつく…うまく転がせない。)
はじめ、地震とは気づきませんでした。
辺りの住民の方が飛び出してきて
「地震だぁー!」と叫ぶ声で、
ようやく自分の身に何が起きたのかが理解できました。
当時、私が勤めていた地域(埼玉県・東京都)は、同じ会社内で最も地震による破損や被害が大きく、対応に追われました。
電気・ガス・水道は生活のライフライン。
安全確認、安全確保、修繕…。
女子事務員さんは早々に帰宅しましたが、現場担当は夜中まで緊急対応に追われました。
ようやく緊急体制が解かれて帰宅した家の中はガラスまみれ。
当時わたしは一人暮らしでしたので、心細い中をマリオ(愛猫)と過ごしました。
マリオの暖かさに救われました。
マリオも不安そうに寄り添ってきたっけ。
翌日から始まったひっきりなしに鳴るテレビと携帯の警報音、余震、ガソリン不足、食料品が棚からなくなる、テレビからはCMがなくなり、信じられない光景が映し出されたこと…。
わたしの実家(茨城県)はライフラインが止まり、両親と連絡がつかない日々。
甚大な被害を受けた地域(岩手県宮古市)に住んでいる友人と連絡がつかない日々。
両親や宮古の友人と連絡が取れた時は、涙が止まらなかった。
無事でよかった。
生きていてくれてありがとう。
でも友人は言った…「生きていてごめん、って気持ちになるよ。」と。
その言葉を聞いて涙が止まらなかった。
宮古市は報道にもあった通り、船がありえない場所に乗り上げていたり、津波の被害を受けた場所でした。
…そんな思いをした日から7年。
わたしの生活も考え方も生き方も大きく変わりました。
今も力強く生きる宮古の友人の存在は、わたしの希望です。
わたしは毎年必ず震災募金をしています。
誰にでも必ずできることがあるはずだから。
今日からまた5年後、10年後。
もっともっといい方向へ向かっていることを願ってやみません。
当たり前なんて、一つもない。
そして同じ3月11日。
私たち夫婦の子どもがお腹の中で亡くなった日。
3.11は「命」について考える日。




